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カワセミと出会う

今日は窓辺に座るとポカポカの日差しが一杯入って、まるで温室の中にいるような温もりに包まれました。

3月1日から再々就職を果たした娘、1年半遊んでしまったこともあり、かなりハードな勤務に毎日音をあげているようで、あ~疲れた!もうダメ!というメールが続くが、
それでも、勤務は1週間続き、今日は夜勤明け、明日は休みということで実家に帰ってきた。
美味しいご馳走でも食べさせることぐらいしかできないが、やっぱり働いている娘の顔はどこか引き締まって見える(笑)  親ばかだけどね!

朝7時まで働いていた娘だから昼間は寝るのかな…と思ったら、ソファーで小一時間微睡んだくらいで起きてしまい、せっかくの好天だからどこかへ行こうという事で、買い物がてら、公園を散歩しました。

ワンちゃんの散歩の人や、ベンチで囲碁、将棋をするグループ、ただボーっとしている人、ひたすら大きく手を振りウォーキングする人・・・
結構、公園も楽しいところでした。梅が咲いていました。足元には福寿草も。春だなぁ~~~
これからは、次々に綺麗な花がみられるようになっていきますよね!

一周して帰ろうとしたら、池のふちで対岸茂みに大きな望遠レンズを向けている人がいました。
そっと近寄って見ていると、肉眼では小さいのですが、青く光る鳥、カワセミがいました。
鳥好きの私は、しばらく様子を見ていると、藪の奥にいるもう一羽のカワセミと鳴きかわしていました。


これは私が以前に撮ったカワセミです。下嘴が赤いのが雌。どっちも黒いのが雄です。
カワセミと出会う_d0354191_16293638.jpg

あ~、もう、鳥さんの世界も春なんだ・・・!
雄(♂)君の求愛は実るのだろうか?
ちょっと心がウキウキして、カワセミ君が飛び立つまで思わず魅入ってしまいました。
飛び立ったカワセミは、日に照らされてブルーの背中とオレンジ色のお腹がとても綺麗でした。
娘も初めて見たカワセミにちょっと感激してました。
どうか、素敵なお嫁さんと結ばれますように、初夏には可愛い子供ちゃんを見せてね!と願いを込めて、公園を後にしました。


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# by bluebird-redbird | 2017-03-07 16:52 | 60代シニア日記 | Comments(2)

行ったり来たり

昨日は山梨から東京への移動日でした。
珍しく、中央道、首都高共に渋滞なし、door to doorで1時間45分でした。ベスト記録かも・・・

大体2週間ごとに山梨↔東京を移動しています。こんな生活、もう10年余り経ちました。
20年くらい前に、山梨に家を建て、ここでずっと暮らすつもりだったけれど、
夫の気まぐれ?(というのとちょっと違うような・・・) 東京で仕事を始めた。
それで、こんな生活になってしまった。
今にして思うと、夫の単身赴任でも良かったのかもしれないけれど、何かと東京に基地があると都合のよいこともあってね。
理由の一つは、私も大きな病気をして、東京の病院にお世話になり、今も通院していること、
もう一つの理由は、私も東京出身だから、友達のはほとんど東京かその近郊にいて、時々会うのに都合がよいの。

そんなわけで、自然豊かな美味しい空気の山梨も、雑踏は嫌だけれど、何でもある東京は便利な街、両方の良いとこ取りで暮らしています。
本音は、この落ち着きのない生活は好きではないし、精神的にも結構ダメージ大きいし、並べ立てれば一杯苦情があるのだけれど、現状を受け入れるという事はプラス思考なくしてはやっていけない・・・です!

梅が咲くと、花の蜜を吸いにメジロがやってきます。この時期の楽しみです!
行ったり来たり_d0354191_18392804.jpg



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# by bluebird-redbird | 2017-03-06 18:48 | 60代シニア日記 | Comments(0)

遠藤周作の「沈黙」に思う事

マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」を観てきました。2度目です。
遠藤周作の「沈黙」は中学の頃から何回か読み返しました。後年、篠田正浩監督の映画「沈黙」もTVで観ました。
今回はアメリカで製作された「沈黙 サイレンス」が、神の沈黙という問いかけにどういう答えを提示してくれるかという事に興味深々と言った心境だったのです。

神はなぜ沈黙を続けるのでしょう・・・あなたのために阿鼻叫喚の苦しみを味わっている信者をあなたはなぜ助けないのですか? 神はいないんじゃないの? キリスト教は信じるに足るの?
でも、それなら、なぜクリスチャンである遠藤周作が、こんな小説を書くの?
識者という方々から見ると、実に幼稚な疑問かもしれないけれど、私はずっとこの疑問を胸に抱き続けてきました。

あらすじを映画のパンフから抜粋ーーーーー
『舞台は17世紀、江戸初期の長崎。幕府による激しいキリシタン弾圧下で、捕らえられて棄教したとされる宣教師フェレイラの消息をたどるべく、弟子の若きポルトガル人司祭2人が危険を冒して日本に潜入する。そこで目にしたのは、隠れキリシタンに対する想像を絶する仕打ちや拷問だった。司祭の1人ロドリゴは、これほど多くの殉教者の血が流れているのに、それをただ見つめているだけの神の存在に、次第に疑問を抱くようになる。そして、長崎奉行の井上筑後守が語りかける「棄教すれば、信者を助けられる」という言葉に、固い信仰心が揺らいでいく…。』

宣教師フェレイラも棄教していたし、ロドリゴも棄教するのです。


遠藤周作の「沈黙」に思う事_d0354191_22071563.jpg

相変わらず、私には分かりませんでした。神の沈黙をどう捉えるのか、神は残酷、無慈悲ではないか?

私は小学校から高校までカトリックの学校で教育を受けました。キリスト教の勉強もカリキュラムにありました。
尊敬する神父様やシスター方もたくさんいらっしゃいます。なのに、キリスト教の信仰を素直に受け入れられない原点が、この「神の沈黙」という問いかけだろうと思います。

殉教する意味はあるのか、踏み絵は踏めばいい、十字架もマリア像も持たなくていい、自らの心の内にだけ信仰をもてばいい、決して声を出さずの祈りをささげればいい、
神はなぜ、漁師や農民達、貧しき信徒の心にそうした考えを与え、実行させなかったのか、
それが神の声であり、神の導きではないのか・・・
私はそう思った。
日本に、キリスト教の迫害の歴史、悲惨な歴史がなかったとしても、やがて信仰の自由が
えられただろうに・・・

初めて小説「沈黙」を読んだ時から、今回の映画を観ても、相も変らぬ私の疑問、
自分は弱いと悩みながらも、結局神を裏切り、迫害を逃れてきたキチジロウこそが、本来の人間の姿であろうし、誰も非難できないと私は思った。

つい最近、カトリック神父故粕谷甲一氏のこんな文章を見つけましたーーーーーー


『貧しい農民や漁民たちに、「信仰を守り抜く。神の愛を証する」という不動の信念があったとは思われません。彼らは、自分の弱さを知って、父である神に助けを求めただけなのです。そのとき、彼らの体に、雲仙地獄での拷問や穴吊るしの責め苦さえ乗り越えさせるほどの力が宿りました。おそらく、彼らは自分自身でも、自分に拷問を耐えぬく力があるとは思っていなかったでしょう。彼らは信念の強さによって殉教したのではなく、弱さのゆえに殉教の恵みを与えられたのです。
逆に、たくさん勉強して日本に送り込まれた信仰のエリートであり、自分の信仰に自信を持ってさえいた神父たちの中に転んだ人たちがいました。そのことは、殉教が人間の力によって成し遂げられものではないことを示しています。「信仰が強いから殉教した、信仰が弱いから転んだ」ということではないのです。信仰は、彼らの力ではないからです。殉教者たちが偉大なのは、自分の弱さを神の手に委ねたということに尽きます。弱さを信念の力で乗り越えようとした人は転び、弱さを神の手に委ねた人は神の力によって殉教の恵みを与えられた。そういうことでしょう。』

ちょっと衝撃でした、それでも、私にはすべてを理解できないのだけれども、もっともっと視野を広げて考えなければいけないんだと気づかされる一文でした。

また、何か考えが変わった時に続きを書くかもしれませんm(__)m



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# by bluebird-redbird | 2017-03-05 09:52 | 雑記 | Comments(0)

日々の日記のようなものと64年生きてきた人生の振り返りのようなもの byゆかぷー


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