2020年9月、またブログ再開します。
全く個人的な覚書、これまでコメくれていた方が昨年2019年9月に亡くなり、はや1年、
これからは、出来事の覚書、雑感といった記事になると思います。
BPDの娘との関係は、ここまで全く変化なし、同じ騒動の繰り返し、事件は異なるも全く同じパターン。
9.9 15時半 娘からの電話で薬を100錠とか200錠とか飲んだというので、またいつものパターンかと放っておこうかと思案の末、嫌な予感に、
タクシーで駆けつける。1万円なり。
娘はソファーで熟睡、救急者呼ぶほどではないかと、様子を見ることに。薬の空のシートも見当たらず、ただ床に黄色と白の錠剤が2錠ずつ落ちていた。
Yから娘に着信あり、私は自分の携帯でかけなおし、何があったのか問うも、分からないとのこと、ただライブで沢山の錠剤を呑むところを見たということ、
仕事のことの悩み(9月1日から2日まで働いて辞めた病院の仕事、これから面接を受けるという仕事の事)ではないかなどと話す、半日仕事ということで応募したけれど、フルタイムで働いてほしいという依頼に悩んでいたとか、そんな話から、これまで何もしていない体にはいきなりきついだろうから、半日から始めたらどうかな?というアドバイスを私はした、これまでしていたような仕送りは出来ないけれど、足りない分は援助してやろうかと考えているという親の立場和話したように記憶する。
夫に電話し、今夜は娘についていると報告。
朝まで娘の息と脈拍を確認しながら、一睡もせず娘を診ていた。夜半に目を覚まし、麦茶を飲むも、まだふらふら、朝になって、受け答えも確りし、麦茶もアイスコーヒーも飲めたので、私はパンやコーヒーを買いそろえ、帰ることにした。自身の薬も持たずに出てきたので、7時ころ娘の家を出て、帰りは電車で帰った。9月10日。
自宅へ戻ると夫は仕事に出た後だった。娘は新しい仕事の面接があると言っていたが、行けたのかどうか・・・
9月11日、私は受診日、娘からもありがとう、迷惑かけましたとのライン、何通かあり、
病院から戻り、16時ころ、圭太で通話あり、Yに仕送りしていたとなぜ言った?プライベートなことまでなぜ言った?私は、自立してると言ってあるのに・・・と激怒。
あんたのおかげで振られたわ!すぐに消えろ!それはそれは激しく罵る。
自分のしたこと棚に上げて、何を言うか、もう何も母に連絡入れるな、親子の付き合いはもうしない、私だって切れた!
母よりYが大切なら、なんでもYに頼れよ、嘘で固めた付き合いが成就するわけないだろうに・・・
こんなエピソード、大なり小なり、繰り返してもう15年にもなるだろうか・・・
また大酒飲んで、ODでもやらかすのだろうか・・・知るかぁ~~~